《留学・海外生活 実況コラム》 女子大生Yukiのブリティッシュライフ 【vol.10】
『留学して視野が広がりました』ってどういうこと?
「海外に出て視野を広げたい」「留学して視野が広がりました」とか、よく聞きますよね。
でもそれは、「欧米では家の中で靴を履いている」とか「外国人って見た目気にしないよね」とかいう外殻のことだけではないはずです。
日本で生まれ育ったわたしは、19歳から4年間イギリスに出たことで、文字通り世界の見方が変わったと思えました。
留学コラム最終回の今日は、このことについて考えてみたいと思います。
「世界に出て視野が広がった」と思える理由は、自分の持っていた「当たり前」が崩れたことです。端的にまとめれば、異文化圏で人種的マイノリティとして生活をしたことから起こったことなんでしょう。
高校までは、似たような環境で育ち、似たような考えや目的やモチベーションを持った人たちに囲まれていたおかげで、共感があちこちで生まれ、それは居心地の良いものでした。
しかし、自分が当たり前だと思っていた考え方、優先度や好みが違う人がいるんだということを学び、だんだん受け容れられるようになって行くのが自分でわかりました。
世の中は「平等」が目指されるべきだと思ってたし、女の子は男の子のことを好きになるのが「普通」なんだと思っていました。
精神的な壁のせいで「頑張りたくても頑張れない」人がいることも知りました。
痩せてる方が可愛いなんて誰が決めたんだろう。
人の外見を褒めることが国際問題になることを、日本人は気づいているのだろうか。
当たり前が当たり前じゃなくなりました。
クラスの1/3がベジタリアンで、バーベキューに来てもベジタリアンのソーセージや豆類を食べていたのは印象的です。地球環境を守るために自分の食生活を変えてベジタリアンになる人って、本当はこんなにいるんだ。そして周りもバカにせず受け容れている。
わたしの入っていた女子サッカー部は3-4人に1人がいわゆるセクシャルマイノリティーでした。大学ではLGBTの運動が盛んで、キャンパス内のメインの建物では男女別のトイレが「Gender Neutral」に入れ替えられました。ロンドンの地下鉄駅のアナウンスで「Ladies and Gentlemen」を取りやめ、「Everyone」と呼びかけることにしたというニュースも記憶に新しいかもしれません。
部活内の遠征でバスに乗るときやイベントでどこかに行かなくてはいけないとき、「誰の隣に座ろう」「誰を誘おう」と毎日頭を悩ませていました。基本的に学校生活も学校行事も大好きだったのですが、「小中学校で、きっとこういう時間が苦痛の人がいたはずだ」と振り返るきっかけになりました。
あっこういう考えがあるんだ。こういう人もいるんだ。と、何回「価値観」を壊され組み立て直したことか。
こうやって社会の見え方が変わっていくと、この表現は、「A」という考え方が前提になっているのではないか、ということに気がつきます。「B」や「C」という前提を持っている人もいるかもしれない、と時折考えるようになりました。
それは例えばこういったことです。
「日本人は」と書く代わりに、「日本に長く住んでいる人は」「日本で義務教育を受けた人は」「日本語ネイティブの人は」「日本人に育てられた多くの人は」と言葉を選んだ方が、疎外感を感じる人が少なくなるかもしれない。
「両親が」ではなく、「家族が」「身近な人が」
「彼氏が」ではなく「恋人が」「パートナーが」
と言った方が、より多くの人の心にすんなり届くかもしれない。
知らないうちに、自分の前提を押し付けているかもしれない。
世界に出て視野が広がるってこういうことなんだと、3,4年目になって何度も思いました。
大半には自分の知っている「普通」で通じるんだからって思うかもしれません。でも、みんながちょっとずつやさしくなって受け皿を広くしてみたら、誰かの生きづらさがちょっとずつ緩んでいくかもしれません。
どこにどういう人がいるかなんて、ぱっと見渡しただけじゃわかりません。
「理解はしなくても、受け入れる」。
「西の魔女が死んだ」の著者·梨木香歩さんがイギリスで師事していた絵本作家ベティ·モーガンさんの言葉です。「寛容」という抽象的な概念を学ばせてくれました。
イギリスに行って何が一番変わったか」と聞かれたら、「寛容になった」と言うと思います。
自分にとっての「当たり前」を取っ払い、受け容れること。
今留学中の人も、これから留学に行く人も、ちょっと意識してみてください。
10回の連載、お読みいただきありがとうございました!
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